日本代表がオーストラリアとの激闘を制し4度目のアジアカップ優勝を果たしました。
深夜のテレビ観戦で思わず「ヤッター」と叫んでしまいました。
サッカーに興味の無い人にとっては夜遅くまで何やってるんだと思われることでしょう。
今回の勝利は5年前の「あの試合」で経験した悔しさを少しだけ軽くしてくれました。「あの試合」とは、忘れもしない2006年ドイツワールドカップサッカーのカイザースラウテルンで行われた「日本対オーストラリア」です。
私と妻はたくさんの日本サポーターたちとスタンドで応援していたのです。もしかしたら勝てるかもしれないと思い始めたところで、悪夢のような6分間での3失点を目の当たりにした目撃者だったのです。とってもとっても悔しい思いを胸に帰国した「あの試合」です。
観戦ツアーは旅の始まりからうまくいかなかったのです。成田空港のカウンターでチケットを受け取り、イギリスのヒースロー空港を乗り継いでドイツのフランクフルト空港に降り立つはずでした。アクシデントはヒースロー空港での乗り継ぎで起こりました。
この旅は自力でドイツの空港までたどりつかなければ始まらないというものでした。飛行機の乗り継ぎは初体験だったのですが、よく「トランジット」と言う言葉を聞いていたので「トランジット」という表示がある所に行けばよいとばかり思い込んでいたのが悲劇のはじまりでした。
空港の表示板には、こんな表示もなくただなんとなく人の流れについていったらなんとイギリスに入国してしまったのです。まちがいに気付いたけれど広い広いヒースロー空港は移動だけでも大変、案の定予定の便に乗り遅れました。
「このままではドイツにたどり着けない」と思案していると同じような日本人が何人もいることに気付きました。航空会社のカウンターに行きみんなで身振り手振りを交えた英語で交渉し、なんとかその日の最終便に搭乗できフランクフルト空港にたどり着いたという裏話があるのです。
ヒースロー空港で学んだことは、英語は話せなくても単語と身振りでなんとかなる、そしてポンドしか使えない(ユーロはだめ!)、最も覚えておかなければならないことは、「トランジットではなくフライトコネクションと表示してある場所に行くこと」でした。
帰国後、この悲劇は「週刊文春」に取り上げられました。なぜなら乗り遅れたなかまの中にこの雑誌に毎週連載しているライターさんがいたのです。
コラムの中でドイ夫妻との共有時間のことが出ていたのですが、この「ドイ夫妻」とはわれわれ2人のことなのです。どうです、まいりましたか?
でも、もう1つ裏話があるのです。実は、ライターさんの名前が「KENICHIRHO」でわたしが「KENICHI」です。帰国の日の朝、ドイツのホテルで航空券が余るなーと思い良く見てみると似たようなスペルの航空券があってライターさんの券を持っていることに気付いたのです。
この時出発の10分前しかもライターさんとちがうホテルに宿泊していたのです。もし気付かなかったら、しばらくドイツでホームレスをしていたかもしれません??
最後に、当時ドイツも日本同様、歯科医師過剰が言われ「歯科医師がタクシードライバーをしている」と聞いていました。そこで現地在住の日本人に「ほんとうに歯医者さんがタクシードライバーをしているの?」と聞いてみました。「いえいえそれはオーバーな話です」でも「ドイツでは親知らずの歯は有無を言わさず抜かれます」と言っていたことが印象に残っています。
やはり、まだまだ綴りたいことがありますが、また今度にしておきましょう。

